なぜ、走りたいのか。走りに駆り立てるものは何か
`06ダカールラリーをラストランと決めて参戦したが、残念ながらリタイア。
何が何でもゴールをしたいと懸命に頑張ったけれど、思いは果たせなかった。
源吉兆庵を筆頭とするスポンサーの方々や、
応援してくれた皆さんの期待と夢に応えられなかったことは
本当に申し訳なく、心残りでならない。
だが不思議なことに、不完全燃焼ではなかった。
総合3位になった`87年以来、常に勝つことだけを考え、数分の無駄も許さず、
速さだけを競う世界が僕のパリダカだった。
今回のように最初から勝ちを度外視した状況下で、走りつづけること、
生き残ることだけを目的にしたドライビングなど、
長いラリー人生において一度たりともなかった。
正直なところ、少しばかり悔しかった。
忍の一字でゴールを目指すのだと決めアフリカの砂漠に突入した。
最初の数日はぼやきもでた。ところが、砂をかき、冷や汗をかきながら、息も絶え絶えの車に、
頼む走ってくれと声をかける毎日が、苦しいけれど面白く、疲れたけれど楽しくなった。
車が壊れて、途中でラリーは終わってしまったが、気分は爽快だった。
今までとは全く違うパリダカを体感し、
真のパリダカの醍醐味を知ったような気がした。
何よりもそれが嬉しかった。
結果報告で2月は過ぎ、毎年この時期は、次のパリダカに向かって動きだす。
僕の中でも当然のように走るための思考が始まる。
おい、おい、もうその必要はないのだぞ。
まて、まて、まだ余地はありそうだぞ。
体中の虫が騒いでいる。
たとえ往生際が悪いといわれても、本音はやはり走っていたいのだ。
もう一つのパリダカを知った今、もう少し走りたいと切に思う自分がここにいる。
篠塚建次郎

1948年11月20日、東京都大田区にて生まれ。
1967年東海大学在学中にラリーデビューし、
1970年には三菱のファクトリードライバーとして参戦。
1971、72年と全日本ラリー選手権で2年連続を果たす。
翌年にはサファリラリー(WRC)日本人初の6位入賞。
1991・1992年とアイボリーコーストラリー(WRC)において
日本人初の総合優勝。
そして、1997年パリ〜ダカールラリーにおいて、
日本人初の総合優勝を成し遂げる。
2006年のダカール・ラリーを最後にトップを競う競技の世界ではなく、
生涯現役ドライバーとして走れる限り、走り続ける道を選択。
ラリーに全力を注いでいる。